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電気自動車の歴史を
紐解いてみよう2022.11.30

電気自動車の歴史を紐解いてみよう

このコラムでも何度も登場している電気自動車(EV)。特に再生エネルギーや蓄電システムの技術開発が進み、SDGsの7番目の目標である「エネルギーをみんなに そしてクリーンに」の実現に欠かすことができないと考えられているのが、ガソリン車から電気自動車への移行です。世界各国で、電気自動車の普及に向けて様々な取り組みが進んでいます。日本でも、2035年までに新車販売される車の100%を電動車(電気自動車だけでなく、ハイブリッド車や燃料電池自動車も含む)にするという方針が定められています。
これからますます身近な存在となる電気自動車。今回は、あまり知られていない、その歴史を紐解いていきたいと思います。

ガソリン車よりも早く
発明されていた電気自動車

1900年パリ万博に出展されたローナーポルシェ 写真① 1900年パリ万博に出展されたローナーポルシェ

電気自動車の条件を「電気モーターで走ること」とすると、その起源は実に200年前まで遡ることができます。ハンガリーのイェドリク・アーニョシュが1827年に電動機(ダイナモ)を開発、その翌年に模型車両に乗せて動かすことに成功しました。これは人が乗るための車ではありませんでしたが、電動で走る車の第一号と呼ばれています。1830年代になると、スコットランドの発明家、ロバート・アンダーソンが充電不可能な一次電気を搭載した電気自動車を開発しています。それからしばらくの間、電気走行の技術は車よりも鉄道で多く活用されるようになりました。

1886年、英国で初の電気自動車が発売されます。ガソリンエンジン車の発売は、それから5年後になりますから、乗用車として最初に登場したのは電気自動車ということになります。1899年には初の時速100kmを突破するなど、実用性と機能性を備えた新しい乗り物として、大きな期待と注目を集めました。翌1900年にはハブにモーターを搭載した“インホイールモーター”の原型とも言える四輪駆動を、ローナー社在籍だったフェルナンド・ポルシェが開発、パリ万博に出展しました(写真①)。

あのエジソンも挑戦!
充電式バッテリーの電気自動車

アメリカでもあの発明王エジソンが電気自動車のさらなる改良に乗り出しています。エジソンはニッケル・アルカリ蓄電池を開発、その蓄電池を搭載した電気自動車を製造しました。当時、鉛電池搭載の電気自動車は走行距離が80km程度でしたが、エジソンの電気自動車は、1回の充電で160kmを走行できる、画期的なものでした。電気自動車は、騒音が少なく、ガスを排出しないことから、当時の女性にとても人気があったそうです。

エジソンとデトロイト・エレクトリック・モデル47(アンダーソン・エレクトリック・カー) 写真② エジソンとデトロイト・エレクトリック・モデル47(アンダーソン・エレクトリック・カー)

1900年代に電気自動車が非常に人気を博した第一の理由は、なんと言っても取り扱いが容易であること。そして、すぐに走り出せることにあったようです。一方、広大な国土を持ち、移動距離が長くなるアメリカでは、蓄電できる電気量の限界から航続距離の短さが克服しがたいネックとなり、だんだんとガソリン車にその地位を奪われていくようになっていきます。

戦後の日本で活躍した
国産電気自動車

東京電気自動車の「たま」 写真③ 東京電気自動車の「たま」 photo taken by baku13 GFDL,cc-by-sa-2.1-jp

日本に最初に電気自動車が登場したのは1900年、明治33年。当時の皇太子、後の大正天皇のご成婚記念としてサンフランシスコの日本人会が献上したのが、日本で最初の電気自動車と言われています。その後、1917(大正6)年には京都電灯と日本電池(現GSユアサ)がアメリカから「デトロイト号」を5台輸入したとの記録が残っており、国内での電気自動車の研究が始まったことが伺えます。そして、第二次世界大戦後、ガソリンが不足していたことに加え、本土空襲により国内の工場の多くが稼働できず電力が余っていた時期に、幾つかの自動車会社から電気自動車が発売されるようになりました。
この時代の車として有名なのが、東京電気自動車(後のたま電気自動車)の「たま」です。飛行機の製造ができなくなった立川飛行機の技術者たちによって作られた、この国産電気自動車は鉛蓄電池への一度の充電で65km走れ、最高時速は35kmだったとか。敗戦直後という時代背景の中、電気自動車は復興の重要な役割を担っていました。

2030年代を目前に日常生活に欠かせない
パートナーになりつつある電気自動車の現在

2030年代を目前に日常生活に欠かせないパートナーになりつつある電気自動車の現在

1970年代のオイルショックや、排気ガスによる大気汚染の深刻化などきっかけに、その後も常に電気自動車の可能性に期待は高まり続けていました。ただ、特に搭載する蓄電池の技術の開発の難しさから、航続距離や充電時間、耐久性、車両価格、インフラ整備などが整わず、安定したガソリン車の需要供給を超えることはできませんでした。
しかし、2000年代、小型パソコンや携帯電話などで使用されていたリチウムイオン蓄電池の登場により、電気自動車の状況も大きく変化します。バッテリー性能向上のほかにも、電気エネルギー効率を高められるインバータによる可変電圧可変周波数制御といった、パワーエレクトロニクスの発達もあり、電気自動車の性能は向上しました。

そして現在。家庭での電源(100V/200V)で充電できるようになったことで、電気自動車は一気に身近な存在となりました。日本政府では2050年カーボンニュートラルの実現に向け、2030年代にガソリンを燃料とする自動車の新車販売台数をゼロにするとの発表も行いました。つい先ごろも経済産業省による「EV補助金」の延長が発表されるなど、様々な形で電気自動車の普及を推進しています。もちろん、世界各国でも次々と電気自動車に関する取り組みが進んでいます(コラム「2022年「EV」最新事情」)。

200年の歴史を経て、再び時代の表舞台へと登場してきた電気自動車。その存在は今日、より身近なものとなっています。また、その役割も「電気で走る」だけではありません。太陽光発電したクリーンエネルギーを、より効率的に、有効に使うための大容量バッテリーとしても、電気自動車は重要です。
ニチコンではこれからもV2Hシステムやトライブリッド蓄電システム®など、電気自動車と組み合わせて家庭の電気を賢く使うシステムの開発・提供を通して、常に時代の一歩先を見据えた「優しくクリーンな未来」を生み出していきます。

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