そのあかりに、誰もが息をのんだ。
日本人と電気の150年史。2026.02.26

日本人が初めて電気と出会って約150年。夜を照らす電灯から始まった電気利用は、やがて動力や熱源として幅広く活用され、いまや、電気がない暮らしなど考えられないほど、重要なエネルギーになりました。今回は、そんな電気と日本人の出会いを振り返り、電気が人々の暮らしをどのように変えていったのか、そして、当時の人々は何を思ったのか。その原点をたどってみましょう。
それは、摩訶不思議な魔法のチカラだった
石油や石炭などと違い、目に見えないエネルギーである電気。その存在が発見されたのは意外と古く、紀元前600年頃の古代ギリシャ時代にさかのぼります。
当時、電気といえば静電気のことで、物が吸い寄せられたり、火花が発生するなど、摩訶不思議なチカラとして知られるようになりました。日本でも平賀源内のエレキテルが話題になりましたが、目に見えない電気の正体はなかなか解明できず、エネルギーとしての利用が始まったのは、発見から2 千年以上を経た19世紀になってからでした。
転機となったのは1800 年にアレッサンドロ・ボルタが発明したいわゆるボルタ電池です。これによって初めて安定した電気を生み出すことができるようになり、1830 年には電気の実用化第一号ともいえる電信(モールス信号通信)が可能になりました。
それまでは人が手紙を届けるしかなかった長距離の情報伝達が、電線さえつなげば瞬時に伝わるようになったのは、当時の人々にとって驚くべきことだったでしょう。イノベーションというよりも、まだ魔法に近いイメージだったかもしれません。しかしその利便性は極めて高く、蒸気機関車の運行管理や軍事、行政の分野で、電信は国を超えて普及していきました。
さらに、マイケル・ファラデーが電気と磁気の関係を解明したことで、小型の発電機やモーターが登場します。大きな電力は発電できなかったため、工場などで蒸気機関の補助的な役割を担う程度でしたが、電気がモノを動かす力としても使えるようになったのです。
そして、人々の暮らしを大きく変えることになったのが電灯の発明です。
アーク灯が照らした文明開花の夜
モールス信号やモーターは限られた人々が利用するものだったため、19世紀に入っても、ほとんどの人にとって電気は縁遠いものでした。その距離を一気に縮め、電気時代の幕開けを告げたのが夜を明るく照らす電灯の登場です。この時代の電灯といえばエジソンの白熱灯を思い浮かべる人が多いと思いますが、最初の電灯はアーク灯というものでした。
アークとは放電の意味で、電池につないだ二本の炭素棒を近づけると、放電によって炭素棒が気化して炭素蒸気となり、それが白熱して光を発生させます。特長は太陽光のような眩しいほどの光を発することと、放電に伴うノイズや火花が散るような「パチパチ」という音がすることです。連続点灯すると炭素棒が気化して短くなってしまうため、安定した明るさを維持する工夫が必要でしたが、1862 年にはイギリスで灯台のあかりとして実用化され、後に街路灯として普及していきました。
アーク灯が日本で初めて輝きを放ったのは、1878年(明治11年)3月25日のことでした。全国の電信(モールス信号)を統括する電信中央局の開局祝賀会が東京・虎ノ門の工部大学校の講堂で行われ、各国公使など150名を超える人々が参加するなか、日本で初めてアーク灯が点灯されました。
伊藤博文の特命で英国から招かれた技術者がグローブ電池につないだアーク灯のスイッチを入れると、目もくらむような青白い光が講堂をくまなく照らし出し、来賓たちは「不夜城に遊ぶ思い」と驚嘆の声をあげたといいます。
これを記念して、日本で初めて電気の灯がともった3月25日は「電気記念日」に制定されました。
全国に広がる、電気のエネルギー利用
日本初のアーク灯を見ることができたのは祝賀会の招待客だけでしたが、それから4年後、いよいよ多くの人々がそのあかりを目にすることになりました。
1882年(明治15年)11月1日、東京電灯(東京電力の前身企業のひとつ)が、銀座二丁目に事務所を開設した際、その周辺にアーク灯を用いた街灯を設置したのです。
当時の銀座は文明開化の象徴的な街であり、近代的な煉瓦造りの建物が並び、すでにガス灯も設置されていました。しかし、米国製のブラッシュ発電機で点灯されたアーク灯の明るさはガス灯の比ではなく、「まるで昼間のようだ」と連日多くの人々が見物に訪れたといいます。当時の新聞は「見物の群集は市街に満ち」と報じ、そのようすを描いた錦絵も登場したほどです。
銀座でのアーク灯設置は、東京電灯会社の宣伝のために行われたものでしたが、その企ては見事に成功。アーク灯の評判が全国に広がり、各地で電灯設置の動きが活発になりました。
また、動力としての電気利用も電灯よりも少し遅れて1890年代から相次いでスタートします。
まず、1890年(明治23年)11月、東京・浅草の凌雲閣のエレベーター運転用として、7馬力電動機が初めて稼働を開始しました。さらに、工場の動力源としても活用が始まったほか、1895年(明治28年)2月には、京都電気鉄道で電気鉄道が初めて営業運転を開始し、1903 年には東京電車鉄道が路面電車の営業を開始しました。
未来はいつも、電気とともにやってくる
その後、エジソンの白熱電球が登場すると、電気の普及がさらに加速します。管理に手間がかかり、屋内では眩しすぎたアーク灯に対して、白熱灯は適度な明るさで簡単に利用できたからです。
ただし、電気料金や電灯機器が高額であったため、設置されたのは官公庁や商業施設、富裕層住宅などに限られていました。都市部の一般住宅への普及が始まったのは発電施設や送電網の整備が進んだ1920年代に入ってからです。
こうして一般家庭にも電気が届くようになると、暮らしに電化の波が一気に押し寄せます。1920 年代までにはラジオや扇風機、電気炊飯器が発明され、1930 年代には電気洗濯機、電気冷蔵庫、電動ミシン。さらに戦後の1950 年代にはテープレコーダーやエアコン、テレビが登場します。高度経済成長期を迎えた1960年代になると、こうした家電製品は広く普及していきました。
その後も、技術の進歩によって家電製品が目覚ましい進化を遂げ続けていることは、みなさんもご存じの通りです。とくにインターネットの普及や通信の高速大容量化は、暮らしを一変させたと言っても過言ではないでしょう。
かつて、夜の闇を照らす電灯の明るさに目を見張り、煙も大きな音も出さずに走る鉄道に驚き、遠くの映像が映るテレビに夢中になったように、いつの時代も未来は電気とともにやってきます。
次は、いったいどんな未来を見せてくれるのでしょうか。人と電気の物語は、これからも続きます。
出典・参考文献
○一般社団法人 日本電気協会 電気記念日の由来
https://www.denki.or.jp/about-event-origin/
○電気事業連合会 電力事業の歴史
https://www.fepc.or.jp/enterprise/rekishi/
○株式会社北陸電設 電化製品の歴史
https://hokusetu.co/denmame/denmame-e000198.php
○京都市情報館 京都の市電
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/toshi28.html?utm_source=chatgpt.com
